ビデオゲームのドキュメンタリ映画 6作 +PC映画 1作
2014「アタリ:ゲームオーバー」 66分
アタリ社は天下を取ったゲームメーカー(1980年前後)
市場最低のビデオゲームとの呼び声高いゲームソフト ATARIの「E.T.」
広大な砂漠の一点に大量廃棄され埋められ「ATARIの墓場」として静かに眠る
果たして「写真に映る砂漠の景色」とカメラマンの立ち位置から辿り着けるのか
その成功とゲーム市場壊滅の歴史は のちのファミコンのビジネスモデルの礎となる
2014米「ビデオゲーム THE MOVIE」 100 分
前半はドット絵時代/アタリの消滅と任天堂サイコー/3DCGの時代
世界初のコンピューターゲームからアタリ社のゲーム 如何に国民的おもちゃへと成長したか
中盤に統計データ アタリはショボいゲームを連発し たちまちゲーム市場は消滅(ファミコン前夜)
注:ファミコンは価格を下げるため性能を絞る(色数 音 容量) アタリを教訓にソフトの質を重視
ロボットや光線銃は良質な玩具であることを示すための重要な商品
ファミコンによってゲーム市場は再生 この映画 ニンテンドー愛に溢れている
後半は3DCG映像重視 (ネットゲームと携帯電話ゲームには触れず)
ざっくりと レトロゲームの歴史のお勉強に最適
2012「インディー・ゲーム:ザ・ムービー」 103分
数人で数年かけてゲームを作って ゲーム機からダウンロード販売
2015「ゲーマーVSニブラー」 92分
ハイスコアラーの定番「パックマン」「ドンキーコング」を尻目に
マイナーゲーム「ニブラー」で得点1位の座を取り戻せ! 1回のプレイ時間は40時間
2015「eスポーツ」 93分
スポーツ競技としてのゲーム スポンサー/大会と賞金/プロゲーマー
アメリカが上位なのは「ヘイロー」のみ 他は中朝が上位独占
手首と腰を痛めるので20代半ばで引退 日本ではカードゲームの方が活発
2016「シリコン・カウボーイズ」 76分
牧場地帯の3人「コンパック」設立 PC市場の巨人IBMに挑んだ
持ち運べるPC IBMの全ソフトの動く「互換性」 ジョブズとマイクロソフトもチラリと
今回見たのはセガ映画 ソニック誕生から頂点に立った瞬間! そして衰退期に至るまで
2020米「セガvs.任天堂/Console Wars」 91分 (吹替)
前半が8ビット機ファミコンvsセガメガドライブ 救世主1991ソニック登場前後を詳しく
後半32-64ビット機 N64 vs セガサターン vs PS1
日本での「スーパーマリオ」〜「DQ3」と同じくらいの熱狂が アメリカでの「ソニック」に
1983ファミコン → アメリカ版1985「NES(ネス)」
発売から3年のち 依然としてゲーム売り上げシェア95%を独占
1988セガ メガドライブ → アメリカ版1989「GENESIS(ジェネシス)」
それから1年の間 苦戦を強いられている
セガは全社を掲げて看板キャラクターとなりうるゲームソフトの開発に着手
全部署から集められた企画の内から「ソニック」が提出される
キャラクターデザインはSOA(セガ・オブ・アメリカ)側で最終選考
映画はセガと任天堂両社(のアメリカ側)のマーケティングやCM戦略に焦点を当てて描かれる
アメリカの家電見本市「CES」年2回(1 6月) 新商品10万点以上 おもちゃやゲームも含まれる
1990年 ここでソニック初披露 翌1991アメリカにて「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」先行販売
マテル社でバービーの人気を再燃させた広告の専門家トム・カリンスキーをセガに引き抜く
その下で働くマーケティング部門責任者アル・ニルセン
このゲームマニア丸出しなマーケティングの人物がソニックに惚れ込み
アメリカ側全社を説き伏せ大宣伝を提言し 比較広告を連発
任天堂は時代遅れで子供向け クールなセガは10代以上向けの方向性が打ち出される
この年1991セガは売り上げでトップに立ち 王者任天堂の牙城を崩す その熱狂たるや!
ひと月遅れでソニック日本発売 日本では大ヒットというほどではなくいたって普通の扱い
開発競争:スーパーファミコン サターン プレイステーション
映画後半は新ハード発表のタイミングの駆け引きやプロモーション関連
サターン以降セガ本社がアメリカ側の意見を全く聞かない 関係は冷えていく一方
ドリームキャストは日米双方で設計コンペが行われ
アメリカ版が優勢であったが土壇場で日本側の提示した仕様に(セガ本)
セガの輝いた日々と静かな衰退期を追体験できる映画
映画と音楽を合わせたよりも ゲーム産業の市場規模は大きい!
特別対談映像「元SOA 豊田信夫x 声優 杉田智和」 2020.12.4ユーネクスト配信記念
映画の主演である当時のSOA(セガ・オブ・アメリカ)社長と 吹き替え声優 杉田の対談
豊田の言葉「ゲーム開発に民主主義なし」
「みんなの意見を聞いて反映してゲームを作ったとして良い物ができるわけない」
中裕司や鈴木裕を評して「ガチガチに思い込みが激しくて だけど素晴らしいものを創り出す」
中裕司「ソニック」 鈴木裕「バーチャ・ファイター」「シェンムー」
併せて読むのに最適なセガ本
佐藤秀樹「元社長が語る!セガ家庭用ゲーム機開発秘史」 徳間書店 2019.9.30
機械式の業務用ゲーム時代に入社し家庭用ハードの仕様(CPU)決定に携わった人物の回顧録
ジュークボックスやピンボールマシン時代に技術者として入社 木や鉄板の加工からのスタート
業務用マシンは数百万円で製造販売 買い手が設置し一日数万円以上の利益という世界
より高性能な新技術を求め続け 上昇したコストは販売価格に転嫁しても納得される
アタリの「ポン」を扱う 当時は回路図が付属 コピーゲームでセガはテレビゲーム業界へと参入
任天堂「ゲーム&ウォッチ」の売り上げを聞き家庭用の市場規模を予見
まずは家庭用PC「SC-3000」発売
続いて歴代セガ家庭用ハード
「SG-1000」「セガマークIII/マスターシステム」
8ビット機「メガドライブ/北米版ジェネシス」
16ビット機「セガサターン」 32ビット機「ドリームキャスト」
性能を左右する心臓部「CPUチップ」の選定に携わる 求める性能 どのメーカー 価格交渉
この低価格で しかし数十万個の発注 半導体メーカーにとってゲーム機に採用されると
その年で最大のCPU生産メーカーとなる
セガの社風として新しい技術を価格的に無理をしてでも取り入れる 失敗しても次を考える
セガハードに採用して大量生産 任天堂ハード発売の頃にはCPU価格がこなれている
この本はハード設計のエンジニアのトップの書いた本であり ソフト開発には関わっていない
・社内では業務用ゲームが本流 使えない人間が家庭用に回される
・業務用は100円で3分楽しませる世界 家庭で1ヶ月遊べるソフトを創る人材がいない
・業務用で他社と競合するため 他のソフトメーカーと良い関係を最後まで築けなかった
著者はネットワークにこだわり続け3度失敗している
・メガドライブのメガモデム ・サターン ・ドリームキャスト
ハード撤退に伴う人員整理を終えたら退社しようと思うも
敗戦処理として取締役社長を務めることに
他に類を見ない「ハード設計者からの視点による家庭用ゲーム機の歴史」本 ビジネス書?
誤字脱字がそこかしこ数十カ所に見られるが まあそこはセガ愛で
中山隼雄
メガドライブ時代の超ワンマン社長 セガ映画でもアメリカ側からネタにされている
外資では自由が効かない部分も多々あり日本企業に株式を買い取ってもらいたかった
知り合いになった大川功は全株式をアメリカ企業から譲り受けセガは日本企業となる
投資家の大川功に対して 実業家の中山といった印象で経営権を任される
社員からは恐れられていたが「セガ本」の著者からはあまり悪く描かれていない
CSKと創業者 大川功
業務用コンピュータの草分け 金融や産業用のソフトウェアの開発
大手メーカー(日立 東芝 富士通)に属さない独立系システムエンジニアリング企業
1984当時パラマウント資本の海外企業セガに80億円を出資して日本法人化
親会社CSKは セガには赤字でなければ特に口を挟まない方針
2001ドリームキャスト撤退(生産終了)時に個人資産から850億を寄付してセガは倒産から回避
同年2001大川の死去と期を同じくしてセガはハードメーカーとしての役割を終える
竹崎忠 日本一メガドライブを愛する人物の一人
1987? セガの親会社CSKに入社 システムエンジニアとして6年在籍
1993念願のセガに転職 セガの広報を一元化 「セガの名物広報」
2008グループ企業「トムス・エンタテインメント(旧名 東京ムービー)」取締役
まあなんだ セガ大好き!